札番 第22番清涼山 宗徳寺
お寺の歴史(縁起)
今より約1100年前、醍醐天皇の御宇(西暦897~922)に天皇の勅願により観音尊像が作られた。
その観音堂の位置は現在地の東南方百メートルの所であったらしい。前に大きな門もあった。
今も流れている川の名を「大門川」という。
慶長14(西暦1609)年に現在の当山境内に移築された。
平成4(西暦1992)年に屋根総葺き替え、堂の修繕が行われた。
観音堂が移転された当時は「内山連蔵院(ないざんれんぞういん)と称した。
毎日参詣される篤信の方が多々ある。
近くに金比羅堂がある。
石造三重層塔(両尾町)
平成8年市指定有形文化財建造物指定
宗徳寺は、両尾町を一望する高台に位置しています。その境内の背後に広がる丘の中程に、木々に囲まれて石製の小さな三重塔が建立されています。
この塔は、高さ2.29mの花崗岩製で、六つの加工された石を組み合わせてできています。一番下の大きな方形の基盤の上に、塔本体にあたる石が3つ重ねられ、その上に頂上部分(相輪)がのっています。相輪の先は折れてなくなっていますが、ほかの部分は、ほぼ完全に残っています。
層塔とは、奈良法隆寺五重塔に代表されるように、屋根を幾重にも積み重ねた形のもので、その屋根の数が三つのものを三重塔、五つのものを五重塔と呼んでいますが、その数は必ず奇数になっています。この塔の場合、途中の屋根が抜けて失われていることも考えられ、元の姿が三重であったのか、五重であったのかは今のところ決めかねます。屋根は上の層にいくにしたがって次第に幅が小さくなり、また、屋根の上面にはゆるやかな反りが見られます。
基礎部分は半分ほど土の中に埋もれています。下から第一層(初層)は、高さ五十五㎝の方柱形をしており、その四つの側面に一体ずつ仏様の姿が浮き彫りにされています。長い年月の間に雨風に削られてしまい、どのような名前の仏様かをうかがい知ることはできません。
この塔が作られたのは、その姿の特徴から、鎌倉時代の初めごろ(約八百年前)のことと考えられます。この塔がもともとこの地に建てられていたのか、それどもどこかから移してきたものなのか、また誰が、何のために建てたものかもわかってはいません。しかしながら、この時代の層塔は全国的にも残っている例が少ないうえ、古代から中世にかけての亀山地方での仏教文化を考えるための重要な資料です。
○『勢陽雑記』
竜山宗徳寺 亀山より乾、行程二里、原尾村に在り。本尊千手観音曹洞宗住すと云々。伊勢巡礼の札所二十一番目云々。歌に
まふで来る人の祈りを叶へんと千手のちかい深きうち山
概要
-
山号
清涼山(せいりょうざん)
-
寺号
宗徳寺(そうとくじ)
-
宗派
曹洞宗
-
祭祀
十一面観世音菩薩
見どころ
主な年中行事
・1月中旬:転読大般若会(新年)
・3月15日:釈尊涅槃会
・4月8日:花まつり
・5月中旬:転読大般若会(野上がり)
・8月13、14日:棚経
・8月15日:盂蘭盆施食会
・12月8日:釈尊成道会
・12月31日:除夜の鐘