札番 第6番慈眼山 金胎寺
お寺の歴史(縁起)
当寺観音院の本尊は、黄金の秘尊を腹蔵した1丈1尺の千手観世音菩薩です。今から1200年前の天長年間、弘法大師が伊勢両宮ご参籠の後、朝熊岳金剛証寺に修禅されてからこの地に杖を止め、開眼されたものと伝えられています。
天正年中、九鬼嘉隆公が鳥羽城を築く際、鍋ケ崎にあった観音堂を移築し、現樋之山東麓観音山に一宇を建立しました。その後も代々の城主の崇敬が厚く、寛文5年(1665)内藤忠政の代には二の丸の余材を以て本堂が再建され、寺号も慈眼山観音院と改められました。
明治維新後、城山大山祗神社の背後にあった稲垣家の祈祷所、金胎寺(真言宗、本尊・大聖不動明王)や神社(かみやしろ)の潮満寺などを当院に合し、観音院の名を廃して慈眼山金胎寺と改称しました。
しかし、平成7年6月、原因不明の出火により本堂、寺務所を全焼する災禍に遭遇し、堂内の本尊千手観世音や薬師如来、不動明王などの諸仏、仏画、古文書の全てを焼失してしまいました。
境内には寛政9年建立の「ほととぎす 消えゆくかたや 島一つ」の芭蕉句碑があり、文久年間に四国の船頭たちによって設けられた「新四国八十八ケ所」は、現在も香華が絶えません。
概要
-
山号
慈眼山(じげんざん)
-
寺号
金胎寺(こんたいじ)
-
宗派
高野山真言宗
-
祭祀
千手観世音菩薩
ご案内
-
住所
三重県鳥羽市鳥羽3-24-1
-
電話
0599-26-3058
-
御朱印場所
当寺受付
-
参拝時間
8時〜17時
-
公式サイト