札番 第4番富向山 田宮寺
お寺の歴史(縁起)
富向山田宮寺 真言宗 本尊十一面観音 伊勢順礼ニ配ス第八番 咏云
たみやでら神も仏もひとつなれ わきておがまぬかたちだになし
拾遺云大神宮ノ御船ヲ納ル処ナリ(『勢陽五鈴遺響』より)
当寺の創建について寺伝は、行基が伊勢神宮参籠のおり、聖武天皇の勅命を受けて神亀2年(725)9月に神宮法楽寺として「陰陽両体神法楽の本尊十一面観音の尊像は、行基菩薩並びに神人変化の御作」になる二体の観音様をお祀りし、建立したものと伝えています。その後、帰朝した空海が当山にしばらく逗留して神護景雲年中(767~770)火災により焼失した殿堂楼門を落成し、寺運隆盛を極めたことから、弘法大師を中興の祖と仰いでいます。
なお、昭和31年防災奉安殿の竣工の際、同寺奉賛会が発行したパンフレットに掲載された「富向山田宮寺」には、長徳年中(995~9)内宮の一祢宜荒木田氏長の草創によるもので(その後、室町時代の明応5年に同寺再興のことが記録に見えることから、一時、消失したが)、荒木田二門の氏寺として、歴代の住持職も真言宗の僧の中から荒木田神主連署で補任された。と大西源一博士の解説を掲載しています。
仏教が興隆する奈良時代から平安時代、主な神社には神宮寺が建てられました。伊勢神宮でも多気町東相鹿瀬に大神宮寺が建てられ、田宮寺も神宮の法楽寺として、境内に内宮の遷宮の度に撤下される古御船代(ふるみふねしろ)を奉安する「御船殿」が建てられていました。
また、北畠、田丸各氏や五カ所愛洲氏などの信仰も篤く、田宮寺村・勝田・矢野・原村など寺領の寄進を受け、太閤検地においても内宮の古御舟代を安置する当寺に対して、寄進高領の内60石と検地打出米13石5斗を附し、江戸期を通じて踏襲されました。
境内には本堂の他、大師堂・天神・御船殿・聖天堂・不動堂・大日堂などの建物や東之坊光儀院という塔頭がありましたが、明治維新の神仏分離令によって明治2年(1869)に廃寺となり、聖天堂・庫裡を残し建物は取り壊されました。本尊の十一面観音立像2躯は平安時代前期の作とされ、共に総高167㎝の桧一木造り・木眼、1躯には彩色があり、1躯は漆箔が残っています。大正4年国宝に指定、昭和25年に重要文化財に指定されています。現在は残された聖天堂に移され、お祀りされています。
18日の縁日には厄除け・縁結び・夫婦円満・子孫繁栄・商売繁盛・家内安全・五穀豊穣・除災招運・子宝・安産などを祈って、近郷に限らず遠方からも詣でる人が多く、さらに2月18日の初観音、8月9日の観音会式には本尊の十一面観音がご開帳されます。
概要
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山号
富向山(ふうこうざん)
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寺号
田宮寺(たみやじ)
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宗派
真言宗
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祭祀
十一面観世音菩薩
見どころ
●年中行事
・2月18日:初観音大祭
・8月9日:夏祭り
・8月10日:四万六千日
・毎月18日:観世音御縁日