札番 第2番勝宝山 金剛證寺
お寺の歴史(縁起)
朝熊山は、伊勢の東方に高く聳(そび)え、山より朝日が輝き登り、そのお日様によって万物(ばんぶつ)が恵みをうけて成育してゆくところから、庶民の信仰をあつめて居りました。
大和朝廷に於かれては、皇祖の神霊の鎮座するところを探して居りましたが、ついに垂仁(すいにん)天皇の時、朝熊山の麓(ふもと)、五十鈴川のほとりの清らかな土地に鎮座を定め、伊勢神宮の御社(おやしろ)をお建てになりました。万葉集ではこの伊勢神宮(内宮)を朝日の来向(きむかう)国と歌われました。
其の後、欽明(きんめい)天皇の(頃暁台上人(ぎょうだいしょうにん)が朝熊岳に庵(いおり)を建て修法せられ、聖武(しょうむ)天皇は、虚空蔵菩薩、雨宝(うほう)童子、明星天子(みょうじょうてんし)、柏爾佛(はくじぶつ)(天御柱あまのみはしら)をお祀りになり寺としての形態を整えられ、伊勢神宮の鬼門鎮護(ちんご)のため、両宮の内院として指定されました。天長2年(825)弘法大師(こうぼうだいし)がこの山に登り金剛證寺と称しました。 江戸時代になり「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」とうたい継がれ現在に至っています
○『勢陽雑記』より
勝峯山観音院 (金剛證寺の)右わきにあり。禅宗也。五間四面の観音堂別にあり。伊勢順礼2番目札所なりと云々。
朝熊山のぼりて見れば極楽の是ぞ誠の浄土成るらん
概要
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山号
勝宝山(しょうほうざん)
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寺号
金剛證寺(こんごうしょうじ)
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宗派
臨済宗南禅寺派
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祭祀
十一面観世音菩薩