札番 番外神寶山 大福田寺
お寺の歴史(縁起)
当山は古くは伊勢山田にあり、聖徳太子の草創と伝えています。天武・持統天皇並びに聖武天皇の行幸を受け、伊勢神宮の神宮寺として大神宮寺と号していました。天長年間(824~34)弘法大師が当寺において三密の法を修したことにより、真言道場となりました。淳和天皇の時、勅願寺となり、宇多天皇の行幸の際に方丈を行宮とし、以後、法皇院と号しました。永承7年(1052)後冷泉天皇が伊勢神宮奉幣の際に一千僧勅会の読経を催しました。その後も明治初年まで代々の天皇の勅願所、皇室の祈願所として栄え、菊の御紋章を許されました。
弘安年中(1278~89)火災のため伽藍は炎上、焼失したが、神宮詞人大和守額田部実澄(桑名神戸郷開発領主門鎌の子孫)が相模国極楽寺開山忍性上人と協力して桑名神戸郷(現桑名市大福)に再興しました。また、後宇多天皇も寺領を下賜して勅願所とせられ、寺号も福田寺と改めました。さらに足利尊氏の崇敬を受け、寺号に大の字を加えて大福田寺と改称しました。
明応(1492~01)以後、数度の兵火に罹り、一時荒廃するが、文亀元年(1501)住職叡熈は全国を勧進して七堂伽藍を造営し、また文亀3年(1503)本尊を造立復興しました。しかし、永禄10年(1567)に朝廷から下賜された山内保護の禁制札により、元亀・天正(1570~92)の兵火の難を避けることができましたが、地域の疲弊により再び寺運は衰微しました。そして寛文2年(1662)住職深忍の時、低い寺地のために屡々水難に遭うため、現在の地へ移転しました。
当山には二つの堂があり、山門を入って正面が本堂で、本尊の阿弥陀如来は、俗に「引阿弥陀如来」と称され、脇侍には十一面観世音菩薩・聖観世音菩薩・文殊菩薩さらに弘法大師をお祀りしています。また、本堂の南側は祈願堂として、桑名藩主松平定信の持念仏聖天尊(歓喜天)と厄除け不動尊を祀っており、「桑名の聖天さん」として毎月1日・16日の縁日はもとより、参詣の人の絶えることがありません。
伝来の什宝も数多く、中でも「八相成道絵図(釈迦の八相を描く鎌倉時代の作品)」、「當山再建勧進縁起(三条西実隆筆・室町時代)」、「忍性上人自画像」等は、国の重要文化財に指定されています。
なお、聖観音菩薩は「合せ観音」ともいわれています。その昔天照大神と春日明神から各々が半身の聖観音像を彫刻して、度会郡まで持参するようにとの夢のお告げを受けた高麗(朝鮮)の兄弟仏師、稽文會と稽主勲が、宮川の畔で再会し、持参した半身の像を合わせると、寸分違わず相好円満な観音像となりました。そこでこの聖観音像のことを、意を伝えた天照大神と春日の合作による観音と伝えています。
なお、当山は三重四国八十八か所の第1番札所、伊勢七福神霊場「大黒天」になっています。
概要
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山号
神寶山(しんぽうざん)
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寺号
大福田寺(だいふくでんじ)
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宗派
高野山真言宗
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祭祀
十一面観世音菩薩
見どころ
●年中行事
・1月1日~3日:新年修正会
・2月節分の日:厄除節分祭
・3月21日:宗祖弘法大師正御影供
・4月1日、2日:桑名聖天火渡り祭
・7月21日:盂蘭盆大施餓鬼会
・8月20日、引阿弥陀会式
・毎月1日、16日:桑名聖天月例祭
・毎月21日:宗祖弘法大師月例御影供
・毎月28日:厄除不動尊御縁日