札番 番外青峯山 正福寺
お寺の歴史(縁起)
海上守護第一霊峯青峯山正福寺縁起
当山は国立公園伊勢志摩の中央、鳥羽市松尾町と、志摩郡磯部町にまたがる海抜336m、雲青く気澄み、東海の天にそびえる霊地であり、その昔倭姫命始めて皇大神をおまつりされたところと言われております。
本尊十一面観世音は、相差の海上より鯨魚に駕して出現し、光明紡突として四方を照らし、この天朗峯(あおのみね)に飛来されたと伝えられております。
聖武天皇、南都東大寺建立の際不祥事度々あり、無事建立を祈られ伊勢神宮に行幸、朝熊岳にこもられた時『これより巽の方角に姦袈という霊験あらたかな観世音菩薩遊化の山あり、この地に一伽藍を建立し尊像を安置すればすみやかに諸願成就すべし』との夢のおつげあり、天皇ただちに行基をつかわし伽藍を建立正福寺となづけたところ、東大寺伽藍御建立成就せりと云う。その後大同2年平城天皇の論旨を受け、弘法大師が真言宗に開宗されました。
本尊十一面観世音は人力の彫刻によるものでなく、南海より鯨魚に乗り出現した補陀洛山(ふだらくせん)の真應であります。御丈一寸八分、後に勝宝元年菩提法師山に登って尊像を三重に造り籠め秘仏とされました。この尊像も亦漁夫の腰みのをまとったお姿で霊験まことにいちゞるしく、殊に波浪不能没の誓願は暗夜荒天の中、船人海中に溺れんとする時、忽然と青連の暫瀾かせ給い、自重より光明を発して海中を照らし急難を救わせ給う。又、人力の及ばぬ願求は影の形の如く不思議の感應枚挙にいとまなくその信仰するもの全国津々浦々に捗っております。
尊き旧跡亦数多く本尊駕してこの山に登った鯨は、本堂前の池に飛び込み岩と化し、鯨岩といい又の名を浮島とも云う。池は古くより龍宮池と云われ、常に霊泉あふる、も一旦山内に異変あるときは忽ち水は枯渇すると云う。又この池は昔より蛙は住まぬと言う。本堂より西に少々登って山頂に至りこの地を天跡山と言う。倭姫命皇大神を始めてまつった霊場で、口碑に倭姫命の御陵とも云う。こゝに青峯山燈台あり、沖を行き交う船人たちの信仰の的になっている。東に少し下って観音始めて立たれた観音山あり、ここに行基の座禅石あり、これよりの眺望はまことに素晴らしく、南は志摩路より西へ紀伊山海を眺め、東ははるかに伊勢尾張三遠を越えて富士山を望み、その雄大なることまれに見る景勝地であります。大門より左に500m程にて高さ15m、廻り30mばかりの大巌あり、これを燈明岩又の名を龍燈石と言う。昔、毎夜護摩を焚いて海上安全を祈った旧跡で、今も尚、夜の文目もわかたぬ荒天に、光を拝すと云われております。境内より松尾旧道へ500m程のところに弘法大師が護摩修行をされた岩があり、これを護摩岩といいます。
境内伽藍は主なるもの金堂あり、聖天堂あり、大師堂あり、弁天堂あり、如意輪堂あり、鐘楼堂あり、薬医門あり、大門あり、客殿あり、庫裡あり、殊に金堂、大門は三十年の歳月をかけて文化年間に完成したもので、その構造の堅牢なること、彫刻の美なること、稀に見るところで、当時鳥羽藩にすぎたものありと言われたものであります。
大門前に大阪西之宮、樽船連中の奉納した大燈籠あり、的矢より66丁(7,128m)の山坂を、このような大石を蟻のあゆみの如く、汗と共に奉納された当時をしのび只々信仰の探さ、青峯山十一面観音の霊験の有難さを痛感するものであります。
又、本堂、向って左に続く絵馬堂に、ところせましと奉納されている絵馬は、御加護により助かった方々の寄進されたもので、その一枚一枚に荒れ狂う波間に浮ぶ木の葉の如き船上で、手をあわせる船人の上に、必ず観音の御姿が描かれ、光明がひとすじ人々の上に輝いております。不思議の霊験今も限りなく、人々の間に語りつがれております。
概要
-
山号
青峯山(あおみねさん)
-
寺号
正福寺(しょうふくじ)
-
宗派
高野山真言宗
-
祭祀
十一面観世音菩薩
・お車をご利用の方は、県道47号 鳥羽磯部線(志摩市磯部町)方面からご参拝下さい。
・大型・中型バスでの参拝は困難です。
見どころ
●年中行事
・1月1日~3日:修正会
・節分2月3日:年祭
・1年御祈祷開白
・旧暦正月18日:大会式(御船祭り)
・旧暦2月初午の日:初午会
・旧暦7月18日:夏会式(おぼん会)
・毎月旧暦18日:御縁日