札番 元26番杉谷観音山 慈眼寺
お寺の歴史(縁起)
久国山観音寺 本尊十一面観音。伊勢順礼の札所、二十六番目也云々。歌に
杉まねく峯の嵐や谷川のおともあまねきみのりなるらん (『勢陽雑記』より)
慈眼寺の前身の観音寺は、杉谷の集落の北西、北谷にあった天台宗の古刹でした。天正の頃、この地を襲った織田信長の兵火によりすべての堂宇・寺什を灰燼に帰し、村の中に移されました。
明治政府は神仏分離・寺籍調べなど太政官布告で新たな布令を出し、また、廃仏毀釈や廃寺運動が高まりました。明治5年(1872)杉谷にあった観音寺・引接寺・円導寺は1か寺にまとめて観音寺として残すことにして、尾高の観音堂はその奥の院として存続させました。しかし、その後「無住職、無檀家の寺院は廃寺にせよ」と命じる太政官布告を受け、村の共有寺で檀家のない観音寺は廃寺処分となり、本尊などは本寺である桑名の照源寺預かりとなりました。
しかし、古い歴史や由緒もあり、長年当地において信仰されてきた観音寺が失われたことを悲しんだ地元の人たちは、復興資金の積立、檀家の徴募など寺の再興のために尽力し、廃寺寸前であった宇治山田の慈眼寺の名義を譲り受け、明治20年12月に県の認可を得て再興することができました。
建立後250年余りを経て老朽化した本堂の再建が行われ、平成12年9月に竣工法要が営まれました。さらに本尊の阿弥陀如来像と十一面観音像は、観音寺伝来の鎌倉初期の仏像です。また、本堂に掲げられた観音寺の寺号額は往時の観音寺のものです。
概要
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山号
杉谷観音山(すぎたにかんのんざん)
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寺号
慈眼寺(じげんじ)
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宗派
浄土宗
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祭祀
十一面観世音菩薩