札番 第18番泰平山 府南寺
お寺の歴史(縁起)
当寺は聖徳太子の創建、その後、平安初期真言宗に改宗したと伝えられ、御室派仁和寺の末寺で準別格本山の称を与えられています。
天正年中の兵乱の時、危うく兵火を免れた泰平山無量寿寺(本尊・国府阿弥陀)に、国府の南部、観音山にあって兵火に罹り堂宇を焼失した補陀落山府南寺が、本尊の国府観音(上寺の観音ともいった)を移して合併して一寺となったもので、山号・寺号を合して泰平山府南寺と称しました。
そのため、府南寺の本尊は観音堂に千手観音、阿弥陀堂に阿弥陀如来が祀られて二宇が並び立っています。江戸時代を通じて歴代亀山城主の崇敬が篤く、毎年5石の仏餉米の上納を受けていました。
泰平山無量寿寺は、聖徳太子が伊勢神宮へ戦勝を祈願のおり、神託を受けて創建したと伝えています。鎌倉時代、奈良西大寺の覚乗上人が、伊勢神宮に祈願した「大神宮の内証を窺ひ奉らん」に応えた神託により訪れた当寺の「国府の阿弥陀」を天照大神の姿を現す唯一の像として感得し、信仰を篤くしたといわれます。
補陀落山府南寺も聖徳太子の創建に係るといわれています。本尊は国府の観音とも、上寺の観音とも称される千手観世音菩薩です。左右の脇立には上品の毘沙門天王と勝軍地蔵尊とが奉安されています。そして本尊は治病・除厄・開運・安産、さらに古くは養蚕に霊験が顕かと伝え、遠近から多くの人たちが参詣します。
補陀山府南寺 亀山より東、行程二里。国府に在り。本尊千手観音。
伊勢順礼の札所、十八番目と云ふ。歌に
色づくやうへ寺山の峯の松 風音して秋をしらせん(『勢陽雑記』より)
<補陀落山府南寺>
補陀落山府南寺の本尊は「国府の観音」とも「上寺の観音」とも称されている千手観世音菩薩です。左右の脇立には上品の毘沙門天王と勝軍地蔵尊とが奉安されています。
当寺も泰平山無量寺と共に聖徳太子の創建に係るといわれています。聖徳太子は仏法を広めるにあたり、意見の分かれた物部守屋の降伏を、皇大神宮へ祈願し「仏法を興隆せんと思わば、まず当国に一宇の伽藍を建立し、専ら祈念致すべし」との霊告を得ました。
太子が伊勢国を巡遊し、この地に至ったとき、雨宝童子の「汝を待てり。この南の山は観音有縁の地にして、ここに千手観世音菩薩像を奉安すれば、諸願は成就すること疑いなし」との神託を得、直ちに霊木を求めて高さ1丈3尺の千手観世音菩薩を刻み、七堂伽藍を建立して安置しました。山号は観音浄土の名、補陀落山から名付け、また、この地の北に国府があり、府の南に在ることから府南寺を寺号としたといわれています。さらに太子は当山守護の鎮守として摩利支天を奉安して、士卒全てに勝軍厄除の観音の守りを授与し、物部守屋との戦さに勝利しました。これによって推古天皇の勅願所となりました。
なお、境内の池泉を天人影向ケ池または観音池と称し、また、観音堂前には聖徳太子お手植えの松があり、岸の松といっていました。
本尊は治病・除厄・開運・安産、さらに古くは養蚕に霊験が顕かと伝え、遠近から多くの参詣者が集います。
<泰平山無量寿寺>
泰平山無量寿寺は、聖徳太子が物部守屋を討つに際して皇大神宮へ戦勝を祈願のおり、神託を受けて創建したと伝えています。のち、聖武天皇の勅願所となり、天皇の意を受けた行基により修営されました。弘仁年間(810~24)弘法大師が諸国巡錫の折りに当寺に立ち寄り、本尊阿弥陀仏の霊威に感嘆して17日間の大供養会を行い、その模様は「道俗男女の参籠群集するもの雲霞の如く盛んであった」といわれています。
鎌倉中期、後宇多天皇の頃(1274~96)奈良西大寺の覚乗上人が、一百カ日を期して伊勢神宮に参籠し「吾れ願くば大神宮の内証を窺ひ奉らん」と祈願しました。そして99夜に至り上人の夢に現れた大神は「明くるを待ちて二見浦に来たれ。我が相を見せしむ可し」との託宣を下されました。翌未明、上人が二見浦に赴くと、水面に長さ一丈余りの金色の蛇が現れたため、上人は「濁世末代の衆生は恐れて信心を生じ難し」と告げ、着ていた竹布の袈裟を脱いで蛇に投げかけると、蛇は水中に没しました。
改めて上人は神宮に参籠して祈念しますと、17日満願の夜半に空中から「是より北に当たりて国府の里に一宇あり、泰平山無量寿寺と号す。此に安置する所の弥陀三尊こそ我が内証の変現なり。此の像を拝すれば則ち我れを拝するのである」とのお告げがありました。
無量寿寺へ出かけた上人は、山主良範法印と共に大衆を請じて大般若会を厳修し、秘仏の扉を開け如来を拝しますと、二見浦で霊蛇に掛けた竹布の袈裟が仏の肩を覆っていました。由来を聞いた一同は、この阿弥陀仏のことを天照大神の姿を現す唯一の像として感得し、厚く信仰しました。広く世間に喧伝された「国府の阿弥陀」の由来です。
概要
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山号
泰平山(たいへいざん)
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寺号
府南寺(ふなんじ)
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宗派
真言宗御室派
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祭祀
千手観世音菩薩
ご案内
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住所
三重県鈴鹿市国府町2548
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電話
059-378-0539
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御朱印場所
当寺受付
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参拝時間
8時〜17時
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公式サイト
見どころ
<金剛力士立像>
悪魔を破砕する武器、金剛杵(こんごうしょ)を持つことから金剛力士というが、山門の両脇に対になって仏法を守護するため、仁王(におう)と呼ばれる。
府南寺の山門の両脇に立つ金剛力士像は、桧材、寄木造りで玉眼彩色。像高はともに2.12メートルである。向かって左、金剛杵を持ち、口を開いた阿形(あぎょう)と、右の宝棒を持ち、口を閉じた吽形(うんぎょう)といい、隆々たる筋肉、写実的な衣文には鎌倉時代の特色をよく表す。
昭和31年6月28日、国指定重要文化財に指定されている。
<県指定天然記念物 アイナシ 昭和47年4月1日指定>
アイナシは自生種(イヌナシ)と栽培種との間に生まれた交配種で、その果実はほとんど発芽生育しないので、植物学上非常に珍しく貴重なものとなっている。
この樹は我が国で2番目に発見(昭和46年8月7日)されたもので、現在のところ他には発見されていない。果実はイヌナシより大きく直径1~3センチほどで、花は多尖型、葉は両種の中間の形をしている。
当寺のアイナシは、江戸時代すでに一幹の大樹であったと伝えられているが、明治の中頃伐採されて、現在では根元から5本の株立ちとなり、主幹8メートルほどの高さに達している。
アイナシは自生種(イヌナシ)と栽培種との間に生まれた交配種で、その果実はほとんど発芽生育しないので、植物学上非常に珍しく貴重なものとなっている。
この樹は我が国で2番目に発見(昭和46年8月7日)されたもので、現在のところ他には発見されていない。果実はイヌナシより大きく直径1~3センチほどで、花は多尖型、葉は両種の中間の形をしている。
当寺のアイナシは、江戸時代すでに一幹の大樹であったと伝えられているが、明治の中頃伐採されて、現在では根元から5本の株立ちとなり、主幹10メートルほどの高さに達している。