札番 元25番尾高山 尾高山観音堂 – 伊勢西国三十三所観音巡礼公式サイト

札番 元25番尾高山 尾高山観音堂

お寺の歴史(縁起)

尾高山引接寺 里(杉谷)のうちにあり。本尊千手観音。伊勢順礼の札所二十五番目なりと云々。歌に
|   分けのぼるたかの峯に雲晴れて匂ふ朝日の影ぞさやけき (『勢陽雑記』より)
 尾高高原のふもと、樹齢約300年の桧の巨木が立ち並ぶ参道を登ると、尾高観音の六角堂があります。堂内には聖徳太子の作と伝える高さ約1.7メートルの木造千手観音菩薩像を安置され、庶民には「尾高の観音さん」と親しまれて篤い信仰を受けています。
 その昔、山に登り薬草を発見し、これを服用して長寿を保った杉谷に生まれた一女性が、その後、仏法に深く帰依し、国見岳に釈迦仏を祀ったのが、当寺の始まりといわれています。のちこの地に巡錫した役の小角(えんのおずぬ)が霊地であることを知り、これを再興、国見岳を釈迦ケ岳と改称しました。持統天皇(687~96)の頃、藤原京近くにあった大官寺(現在の大安寺)の諸菩薩の中から、仏縁により、十一面千手観世音菩薩を迎えて祀ったのが、尾高観音の開基であると伝えています。
 その後、千手観音のあらたかな霊験を伝え聞いた桓武天皇は堂塔の造営し、尾高山引接寺の勅号を下賜したといい、延暦年間、最澄の弟子、澄光上人が、近江の豪族、佐々木六角家の庇護を受けて現在の尾高野に仏庵を移し、本尊を迎えました。また、仁明天皇(833~49)の頃、小野篁(おのたかむら)が来て、歌を残したり、八幡太郎義家が朝敵退治のため願をかけ、一千石の寄付をしたともいわれています。
 長寛元年(1163)豪族藤原養敬は、数年を費やして十五間四方の本堂をはじめ、釈迦堂・経堂・不動堂・大師堂・山門・講堂・開山堂などが立ち並ぶ、豪壮な七堂伽藍を完成しました。しかし、永禄・天正年間に織田信長の兵火により堂塔は悉く焼失、その後、藤原氏の一族が小堂を再興して本尊を安置しました。
 現在の六角堂は、文化12年(1815)杉谷の増田兵蔵が建てたもので、堂内には本尊の千手観音像とともに役の小角像が安置されています。

概要

  • 山号

    尾高山(おだかさん)

  • 寺号

    観音堂(かんのんどう)

  • 宗派

    浄土宗

  • 祭祀

    十一面千手観世音菩薩

ご案内

  • 住所

    三重郡菰野町杉谷字尾高

  • 電話

    059-396-1440

  • 御朱印場所

    慈眼寺受付

  • 参拝時間

    8時〜17時

  • 公式サイト

見どころ